2.グラウンドにマスコットが登場〜黎明期・1979-1984〜

公開日:2025年12月1日 (月)

球団マスコットのグラウンドデビュー

フィリー・ファナティックが来日した翌年の1980年ごろから球団マスコットのグラウンドでの活動が活発化した。当時の記録が少なく、「初めてのマスコット」や「グラウンドでのデビュー」については、はっきりとしないものが多い。

パリーグ最初のマスコットは1980年のギョロタン

パリーグで最初のマスコットは後楽園球場時代の日本ハムファイターズによるものだった。

1980年の開幕戦に登場した、ライオンや太陽にも見える顔は、当時の監督・大沢啓二の印象でデザインされた(読売新聞阪神支局 2019.)。名前は公募となり、4月27日に1530通の中から「ギョロ目のタン吉」、通称「ギョロタン」に決定した(朝日新聞1980.4.28朝刊)。

デビュー当時は何も着用していなかったが、1983年ごろからユニフォームを着用し始めた。背ネームには「ギョロタン」ではなく「KOGUMAZA」と入っていた。「こぐま座」とは、制作から出演までを担当した着ぐるみ人形劇団「こぐま座」のこと。各球団に1970年代前半から売り込んでいたが当初は相手にされず、ギョロタンが最初の事例になったという(読売新聞2025.10.08)。

1980年7月の「とびだせファイターズ」では、ギョロタンが特集されている。初期のギョロタンは、お腹にクラクションが仕込まれていたほか、目玉を上下に動かしたり舌を出すこともできたようで、今のスラィリーのような遊び心があった(サンライズ出版企画1980.)。

ギョロタンの仕掛けまで特集された飛び出せ!ファイターズ創刊号

レオのデビューは1979年?1980年?

第1話でも取り上げた通り、西武ライオンズのレオは1978年12月5日の記者会見で発表された。しかし、"グラウンドでの"デビューは詳しい記録がない。

ファンブックに掲載された一番古い写真は、1979年11月11日に開催された「原宿ライオンズコーナー」で行われた七五三のお祝い会だった(西武ライオンズ1980.)。ギョロタンのデビューが1980年3月なのでそれ以前にレオの"実体"が存在したことになるが、「パリーグ最初のマスコットはギョロタン」という記載を覆すものはないことや、1980年のファン感謝デーで2体のレオが隣り合う写真が残されていることから(西武ライオンズ1981.)、当初は"ジャングル大帝レオの縫いぐるみ"という扱いであったのではないかと推察される。

針木(1981)には、1981年5月に平和台で行われた試合にレオが登場していたことが記されている。

所沢の西武球場ではおなじみ、レオの縫いぐるみのマスコットが、観客席をかけまわり、子供がレオを追い回している。

"西武球場ではおなじみ"という文面から、レオが1980年には球場で活躍していたことが窺われる。(ちなみに、当時の文献を読んでいると、現在なら「着ぐるみ」と書く文脈を「縫いぐるみ」と表記していることが多い。)

以上から、レオは1980年、ギョロタンと同じ頃にはグラウンドでデビューしていたと思われる。

西武ライオンズ ファンブック 1980 表紙
初期のレオのイラストが使われた1980年のファンブック

島野修さんとブレービー(1981年)

日本球界におけるマスコットの立場を確立したのは、間違いなく「ブレービー」であり、ブレービーを一人で演じ続けた島野修さんである。ブレービーの誕生はギョロタンから遅れること1年、1981年だ。4月11日に西宮球場でのデビューした。

身長250cm、体重85kg、足のサイズは49cmで頭囲が136cm、胴回りが171cm、黄色のフワフワボディに大きな目(阪急ブレーブス1982)。演じた島野さんは1968年に巨人から1位指名されたが、怪我に悩まされて巨人在籍5年間で1勝、トレード移籍した阪急では3年間で一軍登板なかった元プロ野球選手だ。

当初、演者は非公開とされていたが、1ヶ月ほどして報じた新聞での書き振りがドラ1からの転落といった文面だったことから、心無い野次も受けることになった。しかし、ブレービーにしか、島野さんにしかできない演技を続けて子どもたちの心を掴んだ。ちなみに、島野さんの演技指導を担当したのもギョロタンと同じ「こぐま座」である。

島野さんのエピソードは、ここで語り尽くせるようなものではない。2025年10月にベースボール・マガジン社が発売した「月刊 プロ野球ヒーロー大図鑑」Vol.20には大変詳しくまとめられている。というのも、10月初頭に本稿を書き始めた時点ではもう少し詳しい記事を準備していたのだが、あまりにも内容が被っていたのだ。商業出版を尊重して本稿ではかなりカットした。これらの著述は、主に週刊ベースボールのマスコット特集(2008年、2021年、2022年のものが特に詳しい)や、読売新聞阪神支局「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」、澤宮優「ドラフト1位 九人の光と影」などに依るものが多い。ぜひ、併せて読んでいただきたい。

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ライナとブレービーは同期

ブレービーと同じ1981年にデビューしたのが、西武ライオンズのライナだ。1981年3月発行のファンブックでは、レオの妹の誕生を伝えるトピックスが、手塚治虫のメッセージとともに掲載されている。

ライオンズの実力が向上するとともに、"レオ"の人気もうなぎ登り。全国どこへ行っても"レオ"のマークのついたチビっ子ファンが目につきます。(中略)今年は優勝をめざし、大きく飛躍しようと思っておりますが、これを契機としてか、"レオの妹"が欲しいという声が非常に多く寄せられました。
手塚先生にご相談したところ、先生のところにも"レオの妹"が欲しいというファンの方からの声が届いていたそうです。手塚先生のご協力により、今シーズンから"レオの妹"が登場いたします。

ファンの方はおや?と思ったのではないか。3月の時点で登場しているライナの誕生日は5月5日なのだ。調査を続けると、5月5日は名前が決まった日であることがわかった。5月5日のライナ命名を伝える当時の週刊ベースボールの記事には、以下の文章があった。

応募総数1万5000通のなかで一番多かったこの「ライナ」、球場でファンとともに"活躍"するのはもちろん、(略)女性用品を中心にキャラクター商品でファンの手元に。

グラウンドに登場したタイミングについては、具体的な文献を見つけることができなかったが、同年7月の七夕と思われるイベントにライナが出演している様子が確認できた(西武ライオンズ1982.)。上に引用した週刊ベースボールでも球場での活躍に言及されていることから、命名された5月に近い時期から球場でもデビューしたものと思われる。

ちなみにライナの誕生日は年々お祝いが豪華になっていき、2025年5月5日には「ライナプロデュース おにくパクパクポシェット」が発売された。

西武ライオンズ ファンブック 1981 表紙
初めてライナのイラストが掲載された1981年のファンブック

ヤー坊とスーちゃんは球界初のマスコットなのか?

現在、ヤー坊とスーちゃんは12球団初のマスコットとされている。もとはギョロタンが球界初とされていたが、ヤクルト球団が当時の写真を振り返り、待ったをかけたそうだ(綱島2009.)。

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しかし、ヤー坊・スーちゃんのデビュー時期は詳細がわかっておらず、古い写真や映像の資料が見つかるたびに更新されるといった形を繰り返している。

近年だと1979年デビューとされており、それ以前にも70年代後半にはツバメのマスコットがグラウンドに出演していたという記述を見かけることが多い。その根拠となっているのが以下の項目だ。

  • 1978年の優勝決定時にヤー坊と少し違う顔立ちのツバメのマスコットがいる(ベースボール・マガジン社2008.)
  • 1980年のファンブックで1979年のヤー坊らの姿が確認できる(ベースボール・マガジン社2008.)
  • 1970年代後半の写真には、2種類の顔立ちの異なるツバメ(片方はヤー坊)が見受けられる(ベースボールマガジン社2022)

一方で、ギョロタンを最初のマスコットとする1985年7月20日の朝日新聞夕刊にはこんな記述があった。

日本の球場にマスコットが登場したのは、5年前のギョロタンが最初。さらに阪急のブレービー、西武のレオとライナー、そしてヤー坊、スーちゃんと次々に誕生した。(※1)

この記事では、ヤー坊・スーちゃんの名前が1981年登場のブレービー・ライナの後に記載されているため、デビューは1981年以降とも読むことができる。

デビューが1981年以降であるという記事がある一方で、1970年代後半の写真資料が残されているという矛盾について、改めて事実関係を整理したい。

ヤー坊ともう一羽のツバメ(1970年代後半)

先ほど紹介した3項目について、順を追って調べてみよう。

1978年の優勝決定時にヤー坊と少し違う顔立ちのツバメのマスコットがいる(ベースボール・マガジン社2008.)

これは筆者も確認することができた。1978年10月4日の対中日ドラゴンズ戦において、ヤクルトはシーズン初優勝を決めた。当時の雑誌のほか、ネット上に上がっている当時の動画なども確認してみたところ、初回にヒルトンが本塁打を放った際にハイタッチをしているヤー坊とは顔立ちの異なるツバメのマスコットがいた。ベースボール・マガジン社(2022)に掲載されている写真もこの時のものと思われる。

以上から、1978年にはヤー坊に似た別のマスコットがいたといえる。

1980年のファンブックで1979年のヤー坊らの姿が確認できる(ベースボールマガジン社2008.)

正確には、ヤー坊のみが掲載されていた。1979年7月28日の大杉勝男400号のホームイン時にヤー坊と同じ顔立ちのマスコットがハイタッチをしていた。

翌年のファンブックでは、1980年開催のファン感謝デーの記事にヤー坊と思われるイラストが掲載されていた。1982年版では、1981年の試合で撮影されたと思われるヤー坊・スーちゃんと思われる写真が名前なしで掲載されており、選手の集合写真ページにもはめ込まれていて、正式にマスコットとして扱われていることが伺えた。ちなみに、綱島(2009)では、1980年当時とされるヤー坊・スーちゃんと思しき雌雄の写真が掲載されており、撮影年が間違っていない限りスーちゃんも1980年には登場していたと言えるのだろう。

つまり、1979年にはヤー坊が登場し、同時または1980年?にはスーちゃんがグラウンドに登場していたと考えられる。

1970年代後半の写真には、2種類の顔立ちの異なるツバメ(片方はヤー坊)が見受けられる(ベースボールマガジン社2022)

ファンブックを筆頭にいくつかの文献や映像などを確認したが、1978年以前にヤー坊は見当たらず、逆に1979年以降ではヤー坊に似た顔立ちの別のマスコットは掲載されていなかった。そのため、1979年ごろからヤー坊がデビューしたと思われるが、併用されていたかどうかなどについては確たる資料を見つけることができなかった。

以上から仮説を考えたい。

ヤー坊・スーちゃんに関する仮説

3項目についてまとめると、ヤー坊は1979年ごろから登場したものの、デビュー当時は名前等がなかったのではないか。1981年または1982年ごろからチームの一員としての運用が開始され、その後ヤー坊」・「スーちゃん」と命名されるなどを経てマスコットとしての定期的な活動を行ったと捉えるのが自然ではないかと思う。

まとめ

「ヤー坊・スーちゃん」「ギョロタン」「ブレービー」「レオ・ライナ」のデビューを取り上げた。このように初期は、デビュー時期やグラウンドでデビューしたタイミングが曖昧であったりする事例が多く見られる。

「ギョロタン」や「ブレービー」に代表される様々なマスコットさんが工夫を重ねながら、球団マスコットという文化を確立させていった。歴史を追いかけると、どのマスコットが一番最初に生まれたかということばかり考えてしまうが、それ自体は大きな問題ではない。これまでに登場したすべてのマスコットさんに対して、球団マスコットという文化を紡いできたことに多大なる敬意を表したい。

まとめ年表

  • 1978.10.4 ヤクルト・ツバメのマスコットが映り込み
  • 1978.12.8 レオがペットマークとして誕生

  • 1979.7.28 ヤクルト・ヤー坊と思われるツバメが映り込み
  • 1979.11.11 レオ、原宿で七五三のイベントに出演。

  • 1980.3 日本ハムの新マスコットがデビュー
  • 1980.4.27 日本ハム・新マスコットをギョロタンに決定

  • 1981.3 西武・レオの妹を発表
  • 1981.4.11 阪急・ブレービーがデビュー
  • 1981.5.5 西武・レオの妹をライナと命名

注釈

※1 「ライナー」は原文ママで「ライナ」の誤記と思われる。ちなみに、西武狭山線がレオライナーと命名されたのは1993年4月(朝日新聞出版2011.)のため、因果関係はないと思われる。

シリーズ

1. 球団マスコットが日本に登場するまで〜草創期・1966-1979〜

2.グラウンドにマスコットが登場〜黎明期・1979-1984〜

3.伝統球団にもマスコットが登場〜発芽期・1985-1992〜 

4.12球団のマスコットが出揃う〜発育期・1992-1997〜

5.各球団によるファンサービスの拡大〜成長期・1998-2003〜

6.北海道移転の快進撃と球界再編〜変革期・2004-2006〜

7.第一次マスコット”バズり”時代〜革命期・2007-2012〜

8.球団マスコットは新しい時代へ~発展期・2013-~

参考文献

  • 朝日新聞 1980.4.28 朝刊 19頁.名前はギョロタン(プロ野球短信).
  • 朝日新聞 1985.7.20 夕刊 3頁.縫ぐるみの勲章 「消えた名選手」の潜かな誇り(筆ちはいく).
  • 朝日新聞出版2011.週刊歴史でめぐる鉄道全路線大手私鉄 14 西武鉄道(週刊朝日百科).
  • サンライズ出版企画1980.月刊飛びだせ!ファイターズ 七月創刊号.
  • 澤宮優 2009.ドラフト1位ー九人の光と影 河出文庫.
  • 西武ライオンズ1980.1980年度版ライオンズファンブック.
  • 西武ライオンズ1981.1981年度版ライオンズファンブック.
  • 西武ライオンズ1982.1982年度版ライオンズファンブック.
  • 綱島理友 監修 2009.日本のプロ球技チームのマスコットが大集合!スポーツ・マスコット図鑑.PHP研究所 :8-47.
  • 針木康雄 1981.『堤義明・大いなる発想の秘密 : かくて、野球もまたビジネスとなった』こう書房. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12443977
  • 阪急ブレーブス1982.Braves イヤーブック1982.
  • ベースボール・マガジン社1981. 週刊ベースボール36(22):(1981年5月25日号)
  • ベースボール・マガジン社 2008.週刊ベースボール 63(43):11-33.(2008年9月22日号【特集】かわいくって、いやされる マスコット大集合!)
  • ベースボール・マガジン社 2009.週刊ベースボール 64(35):4-33.(2009年8月17日号【特集】みんなの人気者 大好き! マスコット)
  • ベースボール・マガジン社 2012.週刊ベースボール 67(35):12-33.(2012年8月6日号【特集】夏だ!祭りだ!集まれ、マスコット)
  • ベースボール・マガジン社 2021.週刊ベースボール 76(38):3-42.(2021年8月16日&23日合併号【特集】いつもそばにはマスコット 球界の盛り上げ役 マスコット大集合!!)
  • ベースボール・マガジン社 2022.週刊ベースボール77(40):3-49.(2022年8月29日号【特集】夏休み特別企画 もっともっとマスコット!!)
  • ベースボール・マガジン社 2023.週刊ベースボール 78(43):3-37.(2023年9月4日号【特集】LOVE! マスコット愛)
  • ヤクルト球団 1980.'80ヤクルトスワローズファンブック.
  • ヤクルト球団 1981.'81ヤクルトスワローズファンブック.
  • ヤクルト球団 1982.'82ヤクルトスワローズファンブック.
  • 読売新聞 1978.12.06 朝刊 17頁. ジャングル大帝レオがライオンズのシンボルに(こだま).
  • 読売新聞阪神支局 2019.阪急ブレーブス 勇者たちの記憶.
  • 読売新聞 2025.10.08.日ハムのギョロタンや阪急のブレービー…球団の着ぐるみマスコット、実は70年万博がきっかけ.(最終閲覧:2025-10-12)https://www.yomiuri.co.jp/expo2025/20251008-OYT1T50110/
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Shota Yamamoto

球団マスコットを追いかけて、東京・札幌・仙台を中心に年間60試合程度観戦している成人男性。 「球団マスコットの情報。」の管理人。NPBのマスコットさんを全体的に追っかけている。 特に好きなマスコットさんは、B・Bさん、つば九郎先生、イーグルスのマスコットさん。 「プロコレクション」「実使用グッズ」「NPBマーク」といった言葉に目がない。

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